ヒロイン紺野真琴が資料室でコケてから、タイムリープの能力を身に着けてしまい、それから事あるごとに、自分の都合が悪くなると、「うわあ、ナシナシ!」と言ってタイムリープして過去に戻り、もう一度やり直す。というこの使い方は、ゲームのリセットによく似ている。
昔みた映画、『時をかける少女』から20年以上経つが、いかにも最近らしい印象を受ける。
映画の中に、一枚の絵が登場する。
描いた人物も判らないが、人々の争いで、世界が壊れかけた時代に描かれたという、その一枚の絵。
そして未来から、その絵は存在しない為、どうしてもその絵が見たくて、残っていたという記録のある現代にやってきたという。描かれた時代と似た様な未来の時代からの訪問者である一人の少年。間宮千昭。
結局、絵は修復中で見れないのだが、その絵を修復しているのが、真琴の叔母の芳山和子。原作のヒロインだ。
もう未来に戻らねばならない千昭に、真琴は約束する。
「あの絵、未来で千昭が見られるように、守る」
そんな背景を通して考えると、千昭のいる未来は、争いでひどい時代であり、その為に失くしてしまったという絵を守ると言った真琴の言葉は、今の時代のこの世界を守りたいと、言ったようにも聞こえた。
そう思うと、オリジナルの映画『時をかける少女』から、まさに時を越えて現代にアニメ化されたこの『時をかける少女』は、現代を反映している内容だと思う。
20余年前のワタシたちに、地球温暖化を初めとする、生物生態系の乱れや異常気象などの問題は、思ってもみなかった事ばかりだからだ。
戦争が、もうなければいいな。
そんな程度だった。
ファンタジーだと思って観た映画だったが、さりげなく、そんなメッセージも込められていた気がする。
未来はどうなるのか、わからない。
『time is for no more』
↑
(゜д゜)ハァ?
この文字が黒板に描かれている描写が登場する。
ちょっと笑ってしまうが、とても印象に残ってしまった。
千昭「未来で待ってる。」
真琴「うん。すぐ行く。走っていく。」
最期のシーンで、この台詞を聞いて勝手に涙があふれたとき、そんな自分が予想外だったので、涙の理由を考えた。
ワタシも、過去に誰かと待ち合わせをして、今この時代に来たのかもしれない。
その記憶を刺激されて、涙が出たのかも。なんて。
ちょっとロマンチックすぎ?
けれど、自分が過去に誰かと待ち合わせをして、今ここにいるのだとしたら?
そう考えたら、今、目の前にいる誰かを、とても大切に思えてくる。
友達でもいい。恋人でもいい。家族でもいい。
忘れてしまっているだけで、実際に昔、きっと、また会おうねと言った相手だとしたら?
その人に対してだけでなく、「調度。今。」というこのタイミングさえも、愛しく想う。
待ち合わせに、間に合った。
そんな思いが沸き起こる。
そんな人イナイ。
今のこの時間すら嫌だ。
今が全部嫌。
もし、そう感じているのだとしたら、きっとそれは今ではないのかもしれない。
もっともっとずっと未来で、あなたを待つひとがいる。
大きな愛で、あなたを見守り、待ち続けるひとがいる。
必要とされているからこそ、今のこの時代に生まれてきたのだから。
今ある嫌な出来事は、きっと未来で役に立つ。
どうやってそれを克服し、乗り越えて行くか。その過程こそが大事なのだ。
無かった事にはならないという意味では、リセットなど効かない。
する意味もない。
今、気づいたことを、今、始めるだけだ。
未来で待つ、そのひとの為に、どうか生きて欲しい。
【監督からのメッセージ】
筒井康隆氏によって「時をかける少女」が書かれてから40年。当時、少女たちは、「時をかける少女」を読み、未来を夢見た。そして今、かつて未来と夢見られた21世紀に僕らはいる。けれど、決してあの頃、少女たちが憧れた未来ではないはずだ。では、夢見たはずの未来の姿は、どこへ行ってしまったのか?現代の少女たちも、かつてと同じく、未来を夢見るのか?ならば、その未来とは、どのようなものか?この映画には、ふたりの女性が登場する。ひとりは、かつて、「時」をかけた女性。もうひとりは、今、「時」をかける少女。このふたりのヒロインを通じ、時代によって変わっていくものと、時代を経ても変わらないものについて考えてみたいと思う。「時をかける少女」には、その時々の言葉で、時々の方法で、時々の少女たちで、何度も語られるべき、世界の秘密が隠されているのだと思う。
監督:細田 守
(時をかける少女HPより、引用)
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